おちゃだより

雑談、ひとこと、気持ち、、、

サッカーの考え方 #5

■パスの魅力〈幼稚園~小学校時代〉

 それからというもの、サッカーにはどっぷりハマってしまった。幼稚園の友達が同じチームでサッカーを始めるようにもなった。サッカーに出会った近くの公園の野球場の隅のほうで練習をする日もあれば、母親が漕ぐ自転車の後ろに座って少し遠くの練習場へ向かう日もあった。たまにパン屋さんに寄ることが楽しみだった。とにかくサッカーの練習は楽しく、ボールを蹴って、笛でコーチのもとに集まり、ボールの上に座って話を聞き、走り回る。

 

 休日は家で遊ぶ選択肢がなく外で遊んでばかりであったので、運動大好き日焼け幼人と化していた。いくらサンタさんにお願いしてもDSはもらえない、ポケモンの時間はサッカーの練習があったので見れない。この状況も相まって、家に引きこもることはなかった。たまにプラレールするくらい。休日は公園の噴水広場のコンクリートでサッカーをしたり(木や花壇をゴールに見立てて)、友達のお父さんに遊んでもらったり(うちの親は遊んでくれない)、お父さんが見る競馬を眺めたり(ディープインパクト全盛期)くらいだろうか。

 

 話を戻す。サッカーは複数人で行うスポーツである。誰か一人が目立つことはない。強いて言えばゴールを決めた人が目立つぐらいか。僕がサッカーを好きになった理由の一つでもある、目立たないことができるという点。ゴールを決めなくてもチームに貢献できる、活躍できる、それが目立ちたくない僕にささった。だからか、パスをすることが大好きだった。僕の横に蹴らないほうの足を置く、近すぎると蹴りにくいので少しボールから話した位置に。真横から少し後ろ目に蹴らないほうの足を置いたら、蹴る方向にそのつま先を向ける。蹴るほうの足は足の内側、90度に曲げて面の広いところで蹴る。そうすると狙ったところへボールを蹴ることができる。良いところにパスを通すことに楽しさを感じるようになった。年中、年長になると経験者のほうだったし、足も速いほうだったので活躍できた。その自信もサッカーを楽しむことができた要因かもしれない。幼稚園時代の3年間で、僕はサッカーによりのめりこむ羽目になった。

 

サッカーの考え方 #4

■サッカー一択の運命〈大学時代〉

 19歳になった頃。見事浪人を回避し、大学へ入学して1週間が経過した頃。初めての一人暮らしでなんか大変かなって思ってたけど、案外暇だった。午前中には授業が終わり家に帰った。アルバイトを探すには気が進まない。サークルでも探そうか、と思ったけど、そう言えば入学式のときのサークル紹介にサッカーのサークルなんてなかったなあ。さすがに大学のサークルまでは調べてなかった(というか特にこの大学についてなにも知らん)。冊子的なものにもサッカー系のサークルはない。終わった。僕の大学人生、学業とアルバイトの繰り返しになることがこの時点でほぼ確定したばかりだった。サッカーもやらず、ぶくぶく太っていくのか、4年間何すればええねん。他のサークル?今頃できるかあ(怒)。男女仲良くテニス?フットサル?そんなことできる心を持った男ではないことは自覚している。ちなみにフットサルとサッカーは全く別物だからね。

 

 アニメであるよくある展開、諦めかけたそのとき。いやいや思いついてしまった。SNSを活用してサークルを探す、高校時代に友達に作らされた(言わせて)Twitterを駆使して使う方法がまだ残されていた。「今年から○○大入学です。仲良くしてください!友達作りたい!」みたいなものを心でバカにしていた自分がTwitterでそんなことしていいのか?と思ったのもつかぬ間、僕はこの小さなプライドを捨て、自ら”仲良くしてください”民となる決断を下した。<○○大 サッカー サークル>で検索した。#は上級者が使うものである。あった、ひとつだけ。「毎週木曜日と土曜日、サッカーやってます。土日はたまに試合あります。」そして決め手となった「部活は厳しいけど、サッカーをまじめにやりたい人歓迎。」。紹介文的には理想的な環境、普通に週2でサッカーができる、サークルだし無理して行かなくたって良い。このサークル行ってみたいなあ。「毎週木曜日かあ、、、。今日やん!今何時?12時40分。まだ始まってない?」。急いでTwitterのページを見た。練習は14時30分から、「新入生はDMしてください。」と一言見つけた。終わった、本日2回目の人生の終わり。DMってどうやんの?さすがにメッセージをどうにかして送れることはわかっていたが、肝心の方法まではわからなかった。新たなタブを開き、<ツイッター DM 方法>で検索する。高校を除いた一番上のページを開き、丁寧に見様見真似でやってみる。なんて文章送ろう。年上だし、上下関係を踏まえて丁寧語で文章を打った。

 「今年入学しました、○○学部の○○です。本日の練習に参加したいのですが、できますか。」。もう13時30分、はやく返信来ないと今日の練習には参加できなそうだな。スマホの画面にしがみついてるとすぐに返信が来た。「できます!サッカーの道具を持って14時に大学前に来てください!」。意外と歓迎ムード、優しい雰囲気。すぐに着替えて荷物を持ち、自転車にまたがった。

 

 

サッカーの考え方 #3

■変化〈高校時代〉

 15歳春、高校入学。毎度おなじみ、来週には16歳。受験という人生初めての勉強大会で目標を達成し、一番行きたかった高校に行ける。僕はこの高校に部活をしに来たといっても過言ではない。何部に入るって?打って変わって違うスポーツでもやろうか?なわけあるか、サッカー部一択である。あんな思いをしたのに!?なぜかわからない、今でもサッカーが一番好きなのである。サッカーは大人になっても遊びで一生やっていたいなと思う、当たり前のように、、、。

 

 最初の1,2週間くらいはいろいろな部活に体験入部できる期間が設けられていた。主要な部活ではない部活の人たちが教室にやってきて勧誘してくる、ラグビー部とか。こんなチビでヒョロの人にも声かけるんかい。そんなものには興味ない。自己紹介でも堂々と「サッカー部にはいるつもりです。」と宣言した。幸いなことに同じクラスに4人もサッカー部に入りたいという人がいた。その発言をした人には、この人どのポジションだろう、自分のほうが上手いかなと勝手にライバル心を灯し、こいつほんとにサッカーやってた?ってやつもいた。体験入部期間も彼らと一緒にサッカー部へ行った。噂で聞いた「走りの練習の日」以外は参加した。なぜかというと、走りたくなかったから。

 

 練習は一年生をだますためか、楽しい練習が多く組まれていた。なんか一軍ぽい人たちは別で練習していたけど、大会が近いらしい。この人たちより上手いかなと気にはなったが、そんな余裕はなかった。二軍ぽい人たちと一年生は一緒にミニゲームをした。助かった、1年ぶりで体力はまるでなかったので。久しぶりのサッカーは楽しかった。ボールを蹴ること、この人たちとサッカーを一緒にできることがとても楽しかった。気分は最高、まだまだ僕のサッカー感覚は衰えていない、1年やそこらで十数年間すべてを失うことはなかった。中学時代の反省を生かしてポジションはMFの真ん中。このアピールだけは絶対しようと思っていた。二軍と一年生の実力ではどうか?もちろん考えていたよ、練習中ずっと。だって試合に出たいから。最初に思ったのは、「この人たちなら勝てる」と。もうすぐ大会か、試合出て~。

 

サッカーの考え方 #2

■希望をもって〈中学時代〉

 12歳春。僕は4月生まれなのでもうすぐ13歳。今年から中学生となる。かといって名前は変わらない、そっくりそのまま小学校から中学校になっただけ。そしてもう一つの変化、サッカーを引き続きクラブチームでやるということ。セレクションを突破し、晴れてより上を目指すチームへ、個人的にもこのチームで活躍してプロになるという想いで臨んだ。この年頃になると、周りの友達は現実を見始め、いわゆる大きな夢を語らなくなる。でも僕は現実的に可能性があると思って、いまだに「プロサッカー選手」という夢を掲げている。中学入学前の春から早速合宿がある。背番号は何番になるだろうか、これからは試合に出るためにアピールが必要だ、様々な想いが馳せる。

 かといって、知り合いが2人いることは確定している。実は小学生のときに所属していたサッカーチームと名前は一緒(どっちも社会人チームの名前を借りてる感じ)、監督は全く知らない人だけど。下部組織ってわけではないけど、セレクションでは若干有利だった(結果的に6人中3人合格)。小学生のときは決して強いとは言えないチームだったので、ラッキーだった。だからこそ、挑戦者、アピールという言葉は頭の中にある。正直めちゃくちゃ緊張しているけど、そういう意味で知り合いがいるのは助かる。

 

 合宿当日。集合場所に行く、そこには緊張感が漂う。3月に一度練習があって、どんな人がいるのかは少しわかっていた。監督がやってくる。今までの友達感覚のコーチとの関係から一変し、監督”ボス”の圧倒的な存在感。来たらまず挨拶、先輩後輩の上下関係、新たな環境、自分より上手い人チームメート達、、、。そのなかで僕は一番上手くなって、強豪校へ進学する、プロになるんだ。勝負の3年が始まる。

 練習が始まる。同学年36人、僕はそのおそらくサードチームで始まった(上手い人が同じチームにいないから)。まだ監督は名前も知らないだろう。でも活躍すればよい、そうすれば見てくれる。

 背番号が配られる。1から順番に名前を呼ばれる、僕は33番目。「ゾロ目だから30番台の中で2,3番目に良い、つまり32,33番目にうまい選手と監督は考えている」と考えた。あと20数人追い抜かなければ。けどそんな大きな差はないとも感じている。小学生のときボロ負けした試合の10番が11番を貰っていたから。唯一何となく実力が分かる選手。当時、確かに試合はボロ負けしたけど、個人的にはドリブルで交わされなかったという記憶があった。これからはサッカー一筋。遊んでいる暇はなくなる。実力社会という新たな波に放り込まれた僕は少しの恐さと大きな希望を持っていた。

 

サッカーの考え方 #1

ボールは友達になるのか〈幼稚園~小学生時代〉

 物心つく前、3歳。父親の仕事の都合で、兵庫から東京へ引っ越した。兵庫にいたときの記憶などない、一つ年下の妹と小さな車で遊ぶ写真がアルバムには記憶されている。ここは東京の中でも都会に分類されるらしい、住みたいまちランキングでも上位にいる、人がたくさん住む街だ。

 引っ越したマンションの近くには大きな公園があった。母はよく遊びにつれて行ってくれた。ある日のこと、いつものように公園を散歩させられていると目を引くものがあった。白黒のボールを足で蹴っている人たちがいる。何かわからんがやってみたいと思った。母はすぐに動いてくれた。まだ幼稚園に入園する前のこと、僕は人生で初めてサッカーという習い事を始めた。

 

 最初はボールを蹴るだけ。体を動かすことは好きだったし、なにかわからんが楽しかった。そして幼稚園に入ったあとも続けた。一時は最初にいたチームがなくなって近くにサッカーをできるチームがなくなってしまった(らしい)。そのときも母は少し遠くで活動していたサッカーチームに掛け合って、近所でも活動してもらうことになった。まだまだこの先いつまでも続けていたい、母よありがとう。この頃、僕が好きな練習はコーンとコーンの間を目掛けて、ボールを蹴る練習。どのくらい遠くから間を通すことができるのか、チームメイトと競っていた。数人で2チームに分かれて、ゴールの数を競う練習では、みんながボールを目掛けて走っていくなか、僕一人はその塊を外から眺めていた。みんながボールに集まってボールを蹴りあう。その塊からボールはなかなか出てこない。ボールが塊から出てきたとき、僕はゴールを目掛けてドリブルする。塊にまた捕まることもあれば、ゴールできることもあった。

 幼稚園に行って、終わったら公園へ行き、思う存分遊ぶ。練習の日はサッカーをする。このサッカーとの出会いは、人生の中で僕にとって最も重要な出来事であったことはこの頃は思いもしなった。年中ぐらいだったか、二つ目のチームに入ってから、僕はこのチームの名を中学二年の頃まで背負うことになるとも思いもしなかった。

 

長野発→静岡行の運転手 #4

シャインマスカット400円

 

 土曜日。今日は静岡にいない。会社の球技大会とやらがあるから、ソフトボールをするため?近くのグラウンドに7時50分集合、、だから7時35分には家を出なければならない。もはや出勤、というかそれより朝早いし。7時に目が覚める。数分後にLINEが来た。「雨でグラウンドが使えないため、球技大会は中止です。」。アッレレー、オッカシイゾー。土曜日のこんな時間に起きて、なんもないことある?だたのサラリーマンは昼下がりまで寝るもんだ。僕、用事なくなった、静岡行こう。彼女には球技大会終わったあとに行くって言ったけど、黙って行きます。へへへ。

 

 明るい時間の運転は良い。道路沿いの市場?売店?に寄りたくなる。今日はこの前のところと違う場所で買おう、びっくり市ってとこで(前のところ少し高かったし)。母にもらったヴィヴィアンウエストウッドの財布に、中学生のような小遣い(1000円)を握りしめてちょっと寄り道。ネットニュースで見た「供給増でシャインマスカットが500円」の内容が本当なのかも気になった。

 結構な人で賑わっていた。いろいろな野菜や果物が安く売られている、パンパンに。あった、シャインマスカット。なんと驚異の400円。見た目はイメージしていた綺麗なものではないけど、買うっきゃない。あと、でかい長ナス3本130円と立派なズッキーニ1本80円。好きな野菜をとりあえず買っておこう。

 

 静岡に着いたのは13時。こう考えると、結構運転しているんだなと感じる。合鍵でがちゃり。ドアを開けると、奥の扉の隙間から彼女の視線がこっちを向いている。体は硬直していた。「まじで誰かと思った。びっくりしたあ。」、と言いつつ、喜んでいる彼女の姿を見て、嬉しかった。運転中に浮気をして他の誰かと寝ているかもというありえない最悪の想定をしたおかげか、僕の気持ちもいつもより嬉しかった。かも。

 

日記を書けない平日、静岡へ行かない休日

会社が終わったあと

 会社が終わったあと、先週までの僕はゲームをしたり、散歩したりして、20時半すぎに日記を書いていた。書きたいことがいろいろあるし、少しでも読んでくれる人がいる。文章を書くことが少しずつ楽しくなってきて、趣味として定着しつつあった。けど今週はあまり書く気が起きなかった。別に書きたいことがなかったわけではない。土曜日は映画を見てビアガーデンに行ったし、日曜日はビックリドンキーに行った。書くとしたらお題は「夏にやり残したこと」かな。内容はウェスアンダーソンの最新作の感想、ビアガーデンで大食いしたことなど。でも書く気が起きなかった、ただそれだけ。無理に書いてもしょうがないでしょう。阪神の試合を見ていたのも(YouTubeのさばかんさんのライブだけど)、多少の影響があるかもしれない。金曜日は焼肉食べに行ったから書けない。22時過ぎてからであると、日記を書く気分ではなくなることを学んだ。

 

おじさん化した休日

 今週は静岡へ行かなかった。彼女が実家へ行くらしいので。そうなるとやることがないのが僕。金曜の焼肉のとき、同期が先輩に「彼毎週静岡行ってるんですよ」と言う。これが恥ずかしい。そのあと、静岡までどのくらい?と聞かれて、「高速で2時間半くらいですかね、2000円くらい」という流れが鉄板。高速使ってないけど、使ってる風に見せてる。下道で行くなんて馬鹿だなと思われそうで。そんなこんなで土曜日。朝8時に起きてしまい、やることはない。深夜にあるサッカー日本代表のドイツ戦は同期と一緒に見ようという予定のみあった。エンジェルスの試合を見る、大谷は出ていない。飽きたからワンピースの続きを見る。チョッパーが仲間になった。14時から阪神NHKで試合を観れた、9月に入って負けなし。最近はYouTube阪神情報局さんを観て情報を得ている。夜ご飯に同期とラーメンを食べ、朝3時45分まで、本を読んだ(この前言ってた正欲)。本って現在の流行りの内容がやっぱり売れるのかな。そしてドイツ戦。僕は森保さん支持しない派で擁護はしない。選手の質がドイツを上回る時代が来た。久保をベンチにおける層の厚さは歴代でもないだろう。

 日曜日は12時起床。スーパーへ買い物へ行き、さばかんさんの配信で阪神を観る。15時になったら競馬中継をつける。セントウルSテイエムスパーダは買ってない、さすがに。今年は当たらん。スーパー代はちゃらにならず、エイシンスポッター外回せよ、ロンドンプラン惜しい。アグリも買ってない、全然ダメ。8回裏、逆転。最後は岩貞選手が締めました。強いね。マジック5、とらほー。今日は「スーパー1000円-競馬900円+阪神2000円(気持ち)=100円」という公式が成り立つだろう。

↓ハズレ馬券

 


f:id:ochadayori:20230910171736j:image

f:id:ochadayori:20230910171722j:image